1968年10月1日のダイヤ改正で山手線に10両貫通編成が登場した。山手線ではラッシュ対策として8両から10両に増強する工事が行われていたが、当時の山手線の電車区の状況は品川電車区が手狭だったので夜間は山手線の車両を京浜東北線の蒲田電車区や下十条電車区に収容する必要があり、山手線用の56編成のうち34編成を京浜東北線の車両基地に疎開する必要があった。京浜東北線の車庫を間借りしながら10両編成化を進めるのは無理があるので山手線内に新しく電車区を新設することになった。場所は大井工場の敷地内に新たに490両を収容可能な2階建て電車区を建設して品川電車区を移転する工事を1965年3月に開始すると同時に山手線のホーム延伸工事も行われた。1967年4月3日に新品川電車区の留置線の一部供用を開始し、京浜東北線の夜間留置を24編成まで減らすことが可能になった。同年10月には検修設備などの電車区としての設備も含めた一期工事が完成し、京浜東北線の夜間留置を18編成まで減らすと共に翌年の10両編成化への準備を進めていった。当初は1968年12月に新品川電車区が完成する予定だったが、同年10月1日に予定されているダイヤ改正に合わせて急ピッチで準備を進め、山手線10両運転用に車両の増備も昭和42年度第3次予算で中間車2両を20編成分合計40両を発注した。

9月から増結用の新製車が次々と山手線に配属されて10月1日から既存の8両編成の中間に増結して10両化された。これによって山手線の10両編成は運転台が先頭と最後尾のみの貫通編成となったが、これは通勤形電車では初めてであり、中間に余分な運転台が無い分定員が増え、ラッシュ輸送に適した編成となった。増結用中間車は10月中に出揃い、10月24日までに18編成が10両化され、ラッシュ時は内回りが12編成、外回りが6編成が10両編成となり池袋駅では内回り7時50分から8時17分まで連続して10両編成で来るようになり、混雑が大きく緩和された。ラッシュ対策に大きな威力を発揮したが、車庫の検修庫の設備が貫通編成の長さだけ必要な関係で10両運転を行っている他の線区では設備の都合で3+7等の分割編成にしなければならなかったこともあるが、常磐線・京浜東北線等設備が整っている電車区では1970年から一部が10両貫通編成で運転されるようになっている。

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